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【カンタン解説】嫁姑問題はなぜ起こる?その理由は「意識のズレ」です

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嫁姑問題で頭を悩ませている皆様こんにちは。

僕は夫の立場ですが、嫁と母の間で日々板挟み中です。どちらも僕には本音をストレートにぶつけてきて、しかもこのブログタイトルどおり僕はメンタル激弱なので、大根おろしのごとく精神が削られていきます。ゴリゴリ~♪、ゴリゴリ~♪(泣)

このままだとマジで精神がもたなかったので、なんとかすることにしました。

そうした僕の実体験も含め、色々書いてますので参考にできるところだけつまみ食いしてください。特に僕と同じような立場の方が、これを読んで少しでも辛い現実が緩和されれば、これに勝る幸せはありません。

嫁姑間でトラブルが起こる理由は「意識のズレ」

嫁姑がうまくいかない理由は、一言で言うと意識の違いです。

発する側と受け取る側の印象が違うというのは嫁姑でなくてもよくあることですが、嫁姑間はこれがものすごく極端です。

姑が良かれと思ってやったことでも、嫁は「嫌味を言われた」「嫌がらせされた」などの被害妄想につながってしまいます。

ここでは、意識のズレをわかりやすくするために、場面ごとに分けて見ていきます。

姑「親切心」vs嫁「干渉される」

姑「子育てはこうした方がいいわよ」
嫁「私のやることにいちいち口出ししてこないで」

姑はこれまでの人生経験から、つい気軽にアドバイスします。

しかし嫁と姑は違います。時代も違うし性格も違う。同じ母親を経験しているといっても、アドバイスが時代遅れになっていることもあるし、子育ての方針が違ったらアドバイスも的はずれなものになります。

しかもたいていの人は好きな人の意見は好意的に聞くし、逆もまた然りです。

一度マイナスイメージを持ってしまうと、どんな的を射た助言も、どんなに良かれと思った行動でも「姑が言っているというだけで」反対したくなります。

こうなるとゼロベースの判断は期待できません。姑の言うことやることすべてにマイナスのバイアスがかかり、何を言われても気に食わない状態になります。

良かれと思ってしたアドバイスが・・・

「小言を言われた」
「嫌味を言われた」
「余計なお世話」
「干渉される」

とネガティブな受け取り方ばかりになります。

姑「気を遣わない」vs嫁「気を遣う」

姑「家族なんだから気軽に付き合っていこう」
嫁「元々他人なんだからやりづらい・・・」

そう、もともとは赤の他人。

しかも嫁は夫を見て結婚したのであって、姑を見て結婚したのではありません。

姑との相性を知るのは、結婚の挨拶をしたあと、つまり後戻りできない状態になってからです。

相性が悪いことがわかっても引き返せません。

本音は「姑とは会いたくない」でしょう。かといって嫌われるとやりづらい。だから避け続けるのもよくないし・・・ということで、嫌われない程度には近く、ストレスのかからない程度に遠く、という適度な距離感を保ちたいもの。

女どうし、姑との付き合いは面倒です。

姑「嫁はもらいものを遠慮してる」vs嫁「マジでいらない」

姑「もう、嫁ちゃんたら遠慮ばかりしちゃって」
嫁「遠慮じゃなくていらねえっつってんだろ空気読めや」

姑は親切心で色々嫁にモノをあげたがります。

しかし嫁にも好みや都合があります。

ストレートに「いらない」と言える嫁は少なく、たいていはやんわりと断るのですが、姑はそれを「遠慮してる」と解釈します。

「嫁ちゃんこの野菜採れたから持ってって」
「ああ、いや、今回は大丈夫ですありがとうございます(いらない・・・買い物したばっかりで冷蔵庫パンパン・・・)」
「あっても困らないでしょ?野菜はいくら食べても太らないし体にいいからほらほら遠慮しないで」
「いやもうほんとに今回は・・・(マジでいらないから空気読んでくれホント)」
「まあまあ!持っていって」
「は、はい、わかりました。ありがとうございます(あーあ、どうしよう置き場ないし食べきれないし腐らせるかも・・・)」

こうしていらないものを押し付けられた嫁は、気持ちを汲んでくれない姑を嫌いになってしまいます。

姑「暇」vs嫁「子育てで忙しい」

姑「今日は暇だし、ちょっと孫の顔を見に行こうかしら」
嫁「このクソ忙しいときにレジャー気分で来てんじゃねえ」

姑は子育てが終わっているのでプライベートはそれほど忙しくありません。何事も自分のペースで進められるし心に余裕があります。

だけど嫁は毎日フル回転。まったく日々に余裕がありません。

朝は子供を起こすことから始まり、ご飯を作り、子供に食べさせ、着替えを手伝い、歯磨きをさせ・・・とスローペースな子供を急かして急かしてようやく保育園や幼稚園に送り出します。

乳児のうちはさらに大変。夜泣きして睡眠もろくに取れず、朦朧とした頭で毎日を乗り越えています。

共働きだとそれこそ自分の時間はゼロで、やることは仕事と家事と睡眠だけという日々が何年も続きます。

それを理解しないで急に遊びにいったりすると、表面上はにこやかに接してくれるかもしれませんが、内心では早く帰れ空気読めと思われて印象を悪くするのがオチです。

姑「かわいい孫」vs嫁「しつけが必要な子供」

姑「孫ちゃんはほんとにかわいいよねえ」
嫁「子供はちゃんとしつけないと」

孫がかわいいのは、しつけをする義務ががないからです。

子供を育てるのは親の役目。可愛がってばかりはいられません。

まともな人間に育てるために、一般常識やマナーを教えていかなければなりません。ときには叱って軌道修正させることも必要でしょう。

だから子育ては余裕がないし、可愛いとばかりは思えません。

「寝顔だけはかわいい」と親が言うのは、寝ている間はしつけをする必要がないからです。

しかしジジババはこれらの仕事を丸ごと免除されています。可愛がるだけでいいのだから、そりゃ可愛いのは当たり前。

姑はかわいい孫の喜ぶ顔が見たくて、ついついお菓子をあげてしまったりするのですが、嫁は「それまだあげたくなかったのに!」

さらに子供は「あれおいしかった。また食べたい」とか言うものだから余計嫁はイライラします。

姑「先輩後輩」vs嫁「上司部下」

姑「嫁はかわいい人生の後輩」
嫁「姑は逆らえない上司」

年齢差があると、どうしても姑は人生の先輩のように振る舞いたくなるもの。

しかし嫁から見た姑はまるで逆らえない上司。

意識されてはいませんが、そこにははっきりとした上下関係があります。逆らえない上司のことを部下が快く思わないのは当然。

なんといっても夫の親。嫁としての振る舞いを試されている気がして落ち着けません。

姑「口に出す」vs嫁「口に出さない」

姑「嫁ちゃんは〇〇だよね、〇〇した方がいいよ」
嫁「・・・(反論したいけど黙っとこ)」

姑はなんでも気軽に口に出します。なぜなら上司だから。

嫁は思ったことを口に出しません。なぜなら厄介な上司の前では黙っている方が被害が少ないからです。

こうして、

姑「私の話を愛想よく聞いてくれる良い子ね」
嫁「私の気持ちは伝わらないし伝えるつもりもない」

という深い溝ができてしまうのです。

円満な嫁姑の条件

では、世の中の嫁姑は全員ギスギスしているのでしょうか。

もちろんそんなことはありません。うまくやっている嫁姑はいます。

仲の良い嫁姑は、お互いを理解し、お互いに感謝し、お互い適度に諦めている人たちです。

相容れないからといって即座に拒絶したりしない。まずは理解しようとして聞く。

特に大事なのは嫁の方。なぜなら嫁のほうが力関係が弱く、不満を抱きやすい立場にあるからです。

『ふうん、姑さんはこう考えるんだ、なるほどね。私の考えとは違うけど、仕方ないか。色々やってもらってるしね。我慢我慢』

こう考えられる嫁がいれば、嫁姑問題は起きないでしょう。

「子育てはこうしないといけない」
「離乳食は○○を食べさせないといけない」
「掃除はここまでやらないといけない」

こうした「○○でないといけない」の考えを嫁姑のどちらか一方でも持っていると、二人はうまくいきません。

「○○でないといけない」派は○○だけが唯一の正解で、それ以外の選択肢をすべて間違いとみなします。

こうなると何を見ても間違いだらけ。本当は「違い」があるだけなのに、「間違い」だと思っちゃうんですね。

違う人間どうし、違う行動をするのは当たり前。

「自分のやり方とは違うけど、ま、いっか」と思うことができれば、お互いラクになれます。

相性の悪い人どうしがうまくいくコツは「接しないこと」

先ほど仲のいい嫁姑の条件を挙げましたが、実際に仲良くやれている例は少ないことはご承知の通り。

姑は口止めしても口出ししてきます。

嫁は気にするなと言っても気にします。

そんな関係性の中、仲良くしろというのは無理な話です。

どちらかの考えががらりと変わらない限り根本的な関係修復は望めません。下手に近づけて仲直りさせようとしても嫁のストレスが増えるだけで、やれ離婚だ縁切りだと言い出しかねません。

そこで、発送の転換をしてみましょう。

×「仲良くやっていく」
○「摩擦を避ける」

合わない、かつ相手に合わせる気もない人どうしはどのみち近づけてもうまく行きません。触れれば触れるほど摩擦が激しくなるだけで、角が取れて丸くなることは期待できません。

それならいっそ離してしまいましょう。

触れる距離に近づくから摩擦するのであって、お互いを遠ざけてしまえば摩擦は起きません。

やることは単純です。会う回数や、会話する機会を減らすだけ。

姑は口出ししないで見守る

息子夫婦の行動を見ていて、ハラハラすることもあるでしょう。理解できないこともあるでしょう。

でも、求められてもいないのに手を差し伸べるようなことはしないでください。息子夫婦はもう幼い子供ではないのです。

手出し口出しをしていいのは助けを求められたときだけ。

手出しをしなかった結果、たとえうまくいかなくてもいいのです。それは息子夫婦の責任。転んで立ち上がるのを見守ってやるのが本当の愛情です。

あと、どうしても意見したいなら嫁ではなく息子に話してください。

息子は嫁と違って遠慮せず言いたいことが言えます。議論はお互い対等な立場にあってはじめて成立します。

無理に会わない

お互いの性格が合わないのなら、無理にコミュニケーションを取ろうとせず、会う頻度を減らしてみてください。

孫の顔を見せないと印象が悪くなるかもしれない、なんて気遣いは不要です。

無理に顔を合わせることでストレスがたまり、夫や子供がそのはけ口になることの方が問題です。ただでさえストレスのたまりやすい子育ての最中、余計な気遣いで消耗している場合ではありません。

もしかしたら疎遠になってしまうかもしれませんが、背に腹は変えられません。

忘れてはいけません。嫁の心の安定はそのまま子供の心の安定にもつながるのです。

嫁が四六時中イライラしている家庭では、子供は母親の顔色をうかがいながら過ごすことになります。そんな環境が子供にいい影響を与えないことは明らかです。

嫁の精神を健全に保つのはもちろん嫁のためでもありますが、それ以上に子供の健やかな成長のためでもあるのです。

同居は避ける

いま同居しているなら、実家を出ることを考えましょう。何かのついでで立ち寄れないぐらい距離を離すのが望ましいです。

夫の理解は超重要!

嫁姑問題に取り組むには、夫の理解はめちゃくちゃ大事です。

では何を理解するのか?

答えを言います。それは「嫁の心情」です。

最低限の嫁の心情さえ理解できれば、よかれと思ってやったことで逆に怒らせることもなくなります。

嫁を説得して考えを変えさせようというのはまったくの的外れで、「理解がない」と怒られるのが関の山です。

そのあたりの考え方を別の記事にまとめてありますのでどうぞ。

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まとめ

夫と舅が仲が悪いというのはあまり聞きませんが、嫁姑問題はしょっちゅう起こります。それだけ女どうしの間柄は難しいということです。

嫁が一方的に姑を嫌っている場合は、よほどの出来事がない限り一生嫌いなままです。

せっかく家族になった者同士、できるなら仲良くしてほしいというのが周りの本音ですが、それはほとんどの場合実現しない夢です。

大切なことは、関係が修復できない前提に立って取捨選択をすること。

仮に姑と嫁を会わせないことで家族がより幸せになるのなら、それは良しとすべきです。

子供がいる家庭ならよりわかりやすいでしょう。母親が姑との摩擦でずっとイライラしている環境で子供を育てたいでしょうか?

子供がより幸せになるのなら、ジジババと会わないぐらいしょうがないと思いませんか。

家族の幸せを最大化するために何をすべきか。この視点はブレないでいきたいものですね。

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