「自分に自信がなくて、人の目を見てうまく話せない・・・」
「ヘタレで人前で出ると緊張しちゃう・・・」
「意見があっても怖くて言えない・・・」
そんなみなさんこんにちは。僕もそうです。
自信がないと声が小さくなっちゃいますよね。「何言ってんのかわかんねーよ!」なんて言われても逆効果。余計に声が小さくなってしまいます。言いたいことも言えず、気が小さいと損ばかり。メンタルが強い人になれたらなぁ・・・。
僕もそうでした。生まれながらの小心者で、友人相手ならまだふつうに話せるのですが、上司などちょっとでも自分を攻撃しそうな人と向き合うと、とたんに声が小さくなってしまいます。どこで怒られるんだろう。何か抜けてるところがあったらどうしよう。そんなことばかり考えているから、報告もモゴモゴはっきりしないものになります。そりゃあ上司も怒りたくなりますよね。頭ではわかってるんです。わかってるんだけど治しようがない。
怒られるのも大のニガテ。怒鳴られるとフリーズして頭が真っ白になってしまいます。小さい頃からそうでしたし、大人になった今でも変わりません。
怒られている辛い時間から一秒でも早く逃れたいあまりに、相手に都合のいい、けどできもしない約束をしてしまって、結局できなくてあとでまた怒られるっていう経験を何度もしました。そのたびに次はちゃんと言おうって反省しても、同じ状況になると同じことの繰り返し。
そんなときって、なんかもう、判断するとかじゃないんですよね。頭の中は「逃げたい!助けて!」一色だから、まともに頭が回るわけがない。
隣の人が怒られていても同じで、まるで自分が怒られているかのような気持ちになってしまって、喉が詰まります。
そのたびに「気が弱いってロクなことないよなぁ・・・。強い人になりたいなぁ・・・」ってずっと思ってました。
こんな性格を直そうと、色々本も読みました。でも、効いたものはありませんでした。そのときはわかったような気になっても、いざ怒られると反射で身がすくんでしまいます。反射行動は考える前に起こるから防ぎようがないんですよね。
だから、あるとき踏ん切りをつけました。
「この性格は治らない。だから治す方法を探すんじゃなくて、この性格のままストレスなく生きられる方法を探そう」
いったんそう決めると、考え方がガラッと変わりました。
諦めるところは諦める。自分の目指す生き方を決める。それを実現するためにがんばる。そうすると気持ちがラクになります。
この記事を読んでいただくことで、あなたの気持ちが少しでもラクになれば嬉しいです。
おどおどした性格は遺伝?
世の中には、知らない人としゃべるだけで緊張してしまう人もいれば、大勢の前でも全く物怖じせずに演説できる人もいます。
この違いはどこから来るのでしょうか。
要因は3つしかありません。遺伝・環境・努力です。
環境や努力ならまだしも、遺伝だったら治しようがないですよね。ところが、残念なことに遺伝の要素はかなり大きいのです。
感情はホルモンの分泌に大きく左右されます。どのホルモンが分泌されるかによって、湧き上がる感情は異なるものになります。
同じことが起こっても、人によって受け取り方は違いますよね。例えば怒られたとき。
①ビクッとする
②イラッとする
③なんとも思わない
④快感に感じる
④は特殊として、だいたい①~③のパターンです。
ヒトは外部からの刺激を脳で受けて、脳が反応します。興奮するとアドレナリンが出るとか、聞いたことありますよね。
①②だとノルアドレナリン(アドレナリンとは違います)が分泌されます。ノルアドレナリンは闘争と逃走を司るホルモンで、危険が迫ったときにそこから逃れるものとして必要です。
③の何も感じない人はこのときホルモンが分泌されてません。
④の快感に感じる人は、エンドルフィンという快感ホルモンが分泌されてます。
他にも、新しい仕事を任されたときはこんな感じ。
「任せてもらってうれしい!よーしがんばるぞー!」な人
→ドーパミン(やる気ホルモン)が出る
「めんどくさい・・・やりたくない・・・」の人
→ノルアドレナリンが出る
脳は人によって違うので、同じ刺激を受けても分泌される物質はそれぞれ。だから反応が違ってくるんですね。
そしてこの脳の反応は、遺伝によるところが大きいです。どの刺激を与えたらどのホルモンが分泌されるかは、生まれ持った要素が大きく、すぐに変えられるものではありません。
努力で全て克服できるわけではない
人見知りをがんばって克服した、なんて話を聞くと、がんばれば自分にもできるかも、と思いますよね。
たしかにがんばって克服できればそれが一番いいのですが、がんばれば全員が克服できると考えるのもまた誤りです。
人見知りが克服できた人は、もともとそんな遺伝子を持っていた可能性が高いからです。
その人が持っている性質は、生まれたときからすべて発現するわけではありません。時間的遺伝子の発現(あとで解説します)や、環境の変化によって、眠っていた遺伝子が目を覚ますことがあります。
もともと打たれ弱かった人が打たれ強くなったのは、打たれ弱い遺伝子と合わせて、打たれ強い遺伝子も持っていた可能性が高いのです。もともと植えられていた種が、雨(環境の変化)によって発芽したのです。
しかし、アレルギー持ちの人がアレルギー物質を何回食べても同じ症状が出るのと同じで、打たれ強い遺伝子を持っていない人は、どれだけ打たれる経験を重ねたところで打たれ強くなることはできません。種が植えられていない土にいくら水をまいても芽が出てこないのとおなじてす。
鍛えても伸びない部分というのはたしかに存在するのです。
時間的遺伝子
遺伝子は生まれた瞬間からすべて表に出てくるわけではなく、時が経つにつれて発現するものもあります。これを時間的遺伝子といいます。
・第二次性徴
・味覚の変化(昔は嫌いだったけど最近好きになってきた)
・容貌の変化(昔は母親に似ていたけど最近父親に似てきたと言われる)
これらは時間的遺伝子の影響と言われています。
先ほどの例でいうと、打たれ強い遺伝子が40歳になってから発現する、という可能性があるのです。
親は引っ込み思案じゃないのに自分だけ。隠れた遺伝子
「私の親は両方ともそんなに気弱な人じゃないのに、私だけこうなの。どうして?」
はい、実は僕もそうです。両親ともおどおどタイプではないのに、なぜか僕だけ・・・。
悔しくて調べました。
それでわかったのは、遺伝子の中には、持っていても発現しないものがあるということです。例えると隠れインフルみたいなもんですね。
親がこうだから子供はこう、と簡単に言えるほど脳は単純ではありません。血液型なんかは単純でわかりやすいですが、性格はたくさんの遺伝子が関係しているので、一概に決まるものではないのです。
一つ言えることは、両親の中にも気弱になる遺伝子があったということ。遺伝子を持っていても性質が表に出ないことはよくあります。
「『遺伝子を持っていても表に現れない』」ってどういうこと?」
ピンとこないですよね。これは「劣勢遺伝子」によるものです。
血液型がわかりやすいので例にします。わかっている人は読み飛ばしてください。
僕の親は二人ともA型ですが、僕はO型です。ふつうに考えると親が両方A型なら子供もA型になりそうですよね。これには理由があります。
同じA型でも、実は二種類あります。AA型とAO型です。僕の親は両方ともAO型でした。
血液型はA,B,Oの3つの組み合わせでできます。両親からこの3つのうち一つずつもらってきます。
父親からAを1つもらった場合、子供の血液型は以下の3パターンしかありません。
①母親からAをもらう → A型(AA型)
②母親からBをもらう → AB型
③母親からOをもらう → A型(AO型)
①は両方ともAなのでA型になるのはわかります。②もAとBが揃ってAB型。何もおかしくありません。
ところが③はAとOが入っているのにA型で、O型の性質は表に出てきません。このOのことを専門用語で劣勢遺伝子といいます。
では、この隠れOを持つA型の二人の間にできた子供は何型になるでしょうか。
計算は飛ばします。答えは「75%の確率でA型、25%の確率でO型」です。
親は両方ともA型なのに、子供はO型になる。これは血液型以外にも当てはまります。
O型の例に限らず、持っていても発現しない遺伝子は山ほどあります。これが別の組み合わせになると発現することがあるのです。
だから、親と全く違う性格になるのはおかしなことではありません。親の中では発現しなかった性質が、組み合わせが変わることで発現しただけです。いわゆるトンビが鷹を生む現象もここからきています。
引っ込み思案な性格は克服できるのか
ではもともと気弱でオドオドしがちな性格を変えることができるのか。
答えを先に言うと、「人によります」。
まず、遺伝子を変えることはできません。
怒られてビクビクするのは、脳からビクビクを誘発する物質が分泌されるからです。ビクビクしないためには、怒られたときに物質が分泌されないようにしないといけません。
一言で言うと「慣れ」なのですが、気をつけないといけないのが、慣れやすい人と慣れにくい人がいるということ。慣れにくい性質は持って生まれたものなのでどうにもなりません。
そしてその遺伝子を持っているか、持っていたとしてもいつ発現するかは今の科学ではわかりません。
そう考えると、発現するかどうかわからないものを信じて闇雲に努力を重ねるぐらいなら、伸びる性質を探すことに力を注いだ方がいいと僕は思います。
気弱なままでも生きていく方法を探せ
突然ですが質問です。
「あなたは社長になりたいと思いますか?」
ちなみに僕は即答で「イヤ」です。
たしかに社長になるとお金も地位も名誉も得られます。その代わりに待っているのは、想像を絶するプレッシャーです。自分の決断が会社の会社の命運を握っている重み、従業員の人生を預かっている重み、株主からの突き上げ・・・。こんなの速攻で精神がやられるのが目に見えてます。だから僕はたとえ10億円積まれても社長なんてやりたくありません。
さて、何が言いたいかというと、気弱な人って会社員向いてないよねってことです。
社長は極端な例でしたが、あえて極端にしただけで実は社員も同じです。今はまだヒラでも、年齢を重ねればそのうち部下もできます。部下のミスは自分の責任だし、自分の行動が会社に与える影響は徐々に大きくなります。サラリーマンを続ける以上は避けては通れません。
「そ、そんな・・・じゃあどうしたらいいの?」
不安になりますよね。じゃあ気弱な人は働くのに向いていないのか? 安心してください。もちろんそんなことはありません。
ここでひとつ、発想の転換をしてみてください。
×「気弱を克服する」
○「気弱なままでも戦える場所を探す」
競走馬は速く走ることが唯一の存在価値です。かわいそうですが、足の遅いサラブレッドはどこにも居場所がありません。
ですが人間は違います。スポーツが得意な人、絵を描くのが得意な人、人を楽しませるのが得意な人・・・世の中には色んな仕事があります。
お金を稼ぐ方法も無数にあります。ユーチューバーやノマドワーカーのようなのような、一昔前には存在しなかった生き方も生まれてきています。生きるための間口は確実に広がっています。
そんな中で、あえてサラリーマンというニガテなフィールドを選ぶ必要はあるでしょうか?
会社組織の中で生きていくしかないと思うから苦しいのです。
会社で必要とされる人材はある程度決まっています。タフで、外交的で、いろんなことに物怖じせずにチャレンジしていく人。でも全員がそうかっていうと違います。引っ込み思案なのにバリバリの営業部署に放り込まれたらそりゃ苦しいのは当たり前。
立派な会社に入ったら親は喜んでくれるし、友人にも鼻が高いでしょう。しかし、肩書にこだわるあまりに辛い毎日に縛られるようでは本末転倒です。
外とも中とも戦わなければいけないハードな仕事は、そういうのが向いてる人に任せましょう。その方があなたにとっても会社にとってもお互いハッピーです。
伸びにくい短所に悩むぐらいなら、自分の長所に目を向けて、そんな自分でも戦えるフィールドを探す方が賢いです。
引っ込み思案な人の長所
得意なフィールドを見つけるためには、まず自分の強みをきちんと理解することが大切です。
引っ込み思案は損ばかりではありません。実はたくさんの長所があります。
・人の話をちゃんと聞いてあげられる
・人の気持ちを汲み取ってあげられる
・真面目にコツコツ仕事をする
・何事にも一生懸命
・責任感がある
そんなことないよって言う人には、声を大にして言いたい。
そんなことあります!
自分を基準にすると見えませんが、客観的に見ると確実に標準より上です。できてない人本当にいっぱいいますからね!
引っ込み思案な人の適職の見つけ方
長所リストを作る
まず、さっきの長所を自分で書き出してみてください。
自分にはいいところなんかなんにもない、なんて言ってたらダメですよ。それじゃ辛い現実はいつまでたっても変わりません。
別に飛び抜けてよくできていなくてもいいんです。「あの人と比べたら、まあここはマシかな」と思えるぐらいで全然OK。
イヤなことリストを作る
いいところリストができたら、次はイヤなことリストも作ってみましょう。短所リストではありません。過去のこんな経験がイヤだった、というリストです。こっちは簡単にできますよね。
イヤなことリストができたら、イヤな順に並べ替えてください。
言い換えるとこれはストレスリストです。これらを避けることができれば、ストレスの少ない生活が送れます。
2つのリストを見ながら仕事を探す
長所リストとイヤなことリスト、この2つを見ながら、消去法で仕事を絞っていきます。
大事なのは会社員に囚われすぎないことです。むしろ会社員という選択肢は除外してもいいぐらい。
たしかに毎月決まった給料がもらえる安心感は他に替えがたいものがあります。それは否定しませんが、会社って敵は外だけじゃありません。上も下も横も斜め上もどこからでも矢が飛んできますからね。サラリーマンは社交的でメンタルが強い人に有利にできています。
目指すべきは、上下に敵のいないフリーランスです。
起業なんて言うとご大層に聞こえますが、そんな大げさなものじゃありません。メルカリで転売するのも立派な商売です。
食っていければなんでもいいわけで、元手があれば不労所得にトライしてみてもいいですね。
まとめ
社会人生活はこの先何十年も続きます。何十年もずっとおどおどしながら過ごしたい人はあんまりいないと思います。
僕はそんな人生を送りたくないと思ったから、自分で変えることにしました。何年かかるかわからないし、最終的に実現できない可能性だってもちろんありますが、確実に言えるのは、自分は前進しているということ。踏み出さなければ何も変わりません。
助けを待っていては何も変わりません。未来を変えることができるのは自分だけです。